パブリックに暮らす

個人がパブリックに暮らすといいことを考えてみる。

家の前の道路は、大概市道で、私が住んでる住宅地の一角は、ほぼ住人しか使わない。そういう道の場合、越谷市のものだから越谷市で日常の掃除や環境美化をやるわけではなく、住人が行なっている。


私の町内では、自分の家の前の道の環境美化は、家の敷地延長の範囲を家の者が行う、という暗黙のルールがある。この時期の道は、油断していると草がすぐに伸びてくる。自然ってなんて逞しいいんだろう。放置すれば舗装した道をどんどん草で覆って、自然のあるべき姿へ変えていこうとする。タイルの隙間さえも見逃さない植物の生命力ってすごい。なんて感動して、野草の花を楽しんでいたいところなのだが、私だけ自然の成り行きを眺めているわけにもいかず、せっせと草を抜き近隣の住人と同じように道の美化に努めている。そんなお互い様の暮らしの習慣が、まだあることに気付かされる。個人の公共性って、こう言った必要性とセットになって身近なものではないか。


この習慣を街中の公共空間でも実践したらどうなるだろう?


歩道脇の植え込みや店前の小さな空間を、使っていいことにする。看板を出したり、花を植えたり、テーブルや椅子を出したり、子どもが遊べるスペースを提供したり。自分達が使うスペースだから、店の人や使う人が自分で手入れをして美化に努め、お互いのルールを作り、居心地のよい場所と時間を共有する。結果、人の溜まる場所ができ、街のお店はいつものあのお店として認知され、会話が飛び交い、安心感で守られ、あそこのお店で買い物しよう、ってなる。そんな自然なコミュニケーションのある風景が街じゅうにあったらいい。それに対する行政と言うパブリックの役割は、市道を住民が効果的に使えるように、規制を緩和するか、制度を設けることできっかけを作ることではないか?そのスペースを使って暮らしを楽しく、豊かにするのは市民の主体的な公共性。そう言う町の文化を築いていくって言う視点。その暮らしの文化が都市のパブリシティになっていき、魅力的になれば、結果住み続けたいまちになる。


公園にスタンドカフェ、駅前空間にリビング、道路にダイニング、広場にマルシェ、駐車場にブックスタンド、水辺でシネマ、いたるところで、いろんな可能性が考えられる。


町を自由に使ってわがままに暮らす

パブリックな個人になっていけば、まちはもっと楽しくなる

よろこびの合いの手をつくる

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