コロナの緊張感が緩み始めましたね。
が、コロナがいなくなったわけではないので、十分気をつけながら、新しい日常を重ねて行きたいな。
最近のコロナの情報を見ていると、人類の見えない敵に対する一体感、みたいなことが感じられて、こんなに世界中で誰もが本質的に何が大切かっていうことに向き合い、分かち合えるチャンスは、私の人生の中ではもうやってこないんじゃないかと思うと、コロナにありがとうという気持ちが湧いてくる。
Stay homeの間、大好きな子ども達とずーっと一緒にいられて、それは乳児期の子育て以来だなと思ったら、ちょっと得した気持ちになった。たくさん話しをして、たまに子ども達の喧嘩の仲裁をして、お互いにどうしたかったのかな?なんてことをそれぞれに考える時間がしっかりあって、家族の結びつきが深まったように思う。本当 lucky!
そしてこの期間に、練習を始めた曲がある。
ショパンの華麗なる大円舞曲
これは私の劣等感を象徴する曲として、当時中学生だった私の心に影を落とし、ずっと抱えて生きていたことに気が付いた。仲良しの友達が、すごくピアノが上手で、頭もよくて、何でも私よりもできる人だった。この曲が得意で、いつも音楽室で弾いてくれて、みんなの人気者だった。吹奏楽部で、フルートもトロンボーンもうまくこなして憧れだった。本当は私も弾いてみたかったんだ。上手に弾いてみんなの称賛を得たかったんだよねって、中学生の私に語りかける。中学生の私は、私には技術がないし、私には難し過ぎるんだって、自分ができない理由を見つけて、「できない」ということを決めていたのだと思う。他にもいろんなことをそうやって、自分はできないと言い聞かせ、自分以外の人に自分にはできない能力を見つけては、自分の「できない」にフォーカスし続けて生きてきたんじゃないか?
それは心をどんどん小さくしていって、自分で自分を閉じ込めて、小さな小さな穴から外の世界をのぞくような感じ。
なんだ、劣等感って、自分で創り出してたんだね(笑)
って気が付いたら、やりたいことがあるんだったら、やると自分が決めて、ひたすらにやり続けるだけなんじゃないの?華麗なる大円舞曲を華麗に弾いている幸せな自分の姿をありありとイメージに描いて、今、音の一つ一つを弾き始めるだけでしょ、ってなって、他にも自分が思い込んで決めてることがたくさんあるなって、氷を解かすように解ってきて、自分が今できていないことにも向き合えるようになった。
自分が欲しいと思うことを他人は埋めてはくれない
自分が取りに行く
そしたらね、中学生の時にはあんなに練習しようと楽譜に向かっても、全く弾ける気がしなかったこの曲が、向こうからちゃんと近づいてきた。めっちゃ楽しい。もう弾きこなしている自分のイメージしかない(笑)
いつか街中の小さなピアノのあるバーでさらっとピアノを弾いてみたい
これも私がずっと持ち続けている夢なんだ (⋈◍>◡<◍)。✧♡
(画像: photoAC)
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